学長社会時評  オバマ米国大統領の広島演説-原爆被害と核廃絶ー

2016年05月30日

学長社会時評

 オバマ米国大統領の広島演説-原爆被害と核廃絶そして戦争なき世界へー

芹田健太郎


 日米の戦争の始まりは1941年12月10日のハワイの真珠湾攻撃であった。そして終わりを速めたのが1945年8月6日の広島、同9日の長崎への原爆投下であった。終わったのは8月15日である。

 今回のオバマ大統領の広島での演説は、核廃絶の道のりからは、大統領就任直後の2009年4月5日のチェコ・プラハ演説の延長線上に位置づけられる。プラハで、オバマ大統領は、世界で核兵器を用いた唯一の国として、核のない世界(a world without nuclear weapons)へ向けて行動する道義的責任があるとして、大統領選挙期間に、特に若者に向けて”Yes, we can" と訴えたように、核廃絶を"Yes, we can "と主張しなければならないと、世界に強く訴えた。

 ところで、サミットが終わって被爆地広島に出かけるオバマ大統領は何を話すのか。大きな焦点となっていたのは、いわゆる原爆投下の謝罪であった。日本のジャーナリストたちは、あるいは過剰にこれに焦点を合わせていたともいえる。原爆投下は、戦争終結を早め、多くの無辜の人たちや特に米兵の命を救ったとして原爆使用を正当化する人たちからすれば謝罪などありえないし、原爆被害の悲惨さを訴えてきた人の中には謝罪を求める人たちがいた。これについていわゆる識者たちのコメントが新聞紙上をにぎわした。なかで、「無言で静かに 原爆の謝罪を求めず」というのが良く、無言こそ雄弁、であり、過ちを繰り返さぬ「広島の誓い」を世界のものに、と語るローマ在住の作家塩野七生さんの考え(「朝日」2016年5月25日朝刊)に私は心を動かされた。そして、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)事務局長の田中さんも謝罪は求めない、「核廃絶の道をつくる 信じて」と語っており、それにも痛く感動した(同紙5月26日朝刊)。日米戦争の観点からは、真の日米和解のために日本の首相もハワイに出かけることになるのであろうか。
 さて、広島演説は、とても平易な英語で書かれ、プラハ演説で用いられたフレーズやそれを思わせる箇所が見られ、「核なき世界」実現への思いの連続は明らかである。人類と暴力に関する部分には旧約聖書を思い起こさせるものがある。
 「第二世界大戦が広島と長崎で残酷な終焉を迎え」、「世界は永遠に変わってしまった。しかし、今日、この街の子どもたちは平和に暮らしています。なんと貴重なことか。それは守る価値があり、すべての子どもたちに広げる価値がある」という。この言葉は、あの8月6日が広島でも、いつものように始まり、しかし一瞬にして、いのちも生活も街も奪われてしまったことへの痛切な思いの吐露である。だから、「8月6日の朝の記憶を決して薄れさせてはならない(must never fade)」のだ。われわれが選ぶのは穏やかな日々を送ることであり、その未来では、広島と長崎は核戦争の幕開けとしてではなく、「われわれの道徳的な目覚めのスタート」として知られることになる。広島演説は、核廃絶にとどまらず、戦争の全面的廃止に向けた宣言である。具体的な方策は語られていないが、新たな一歩が記された。このたびは、恩讐を超え、一人ひとりが心に決めて、一緒になって核廃絶へ向かわなければならない。「過ちは 繰り返しませぬから」の誓いのもとに。

(国際法・国際人権法学者)

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Posted by 京都ノートルダム女子大学学長ブログ at 14:58 │学長社会時評

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