『トットちゃんとソウくんの戦争』(講談社、2016年7月)を読んで

2016年08月10日

学長社会時評

 『トットちゃんとソウくんの戦争』(講談社、2016年7月)を読んで

芹田健太郎



日本の八月は、広島・長崎への原爆投下、敗戦と続く日々に思いを致し、慰霊を行い、平和を祈るが、伝統的にお盆の時期に当たり、先祖を迎え、先祖を送る月でもある。本年は特に、オバマ大統領が広島を訪れ、また象徴としての天皇の内外の慰霊の旅も一段落し、日本の進路にとって極めて重要な時期を画す時期となる予感がある。

 本書の著者二人は、太平洋戦争が始まったとき、トットちゃんこと黒柳徹子さんが小学校二年生、東京・現世田谷区自由が丘あたりに住み、ソウくんこと田原総一朗さんは小学校一年生、滋賀県・彦根にいた。ついでながら僕は旧満州(現中国東北地方)生まれで桂木斯(ジャムス)市にいた。
 本書は、まえがき「するめ味の戦争責任」を黒柳さんが、あとがき「正しい戦争」なんて存在しない、を田原さんが書き、その間に、「戦争のあしおと」「戦争の記憶」「戦争とテレビ」の三章に、各人が書いている。

 僕にとってショックだったのは、するめ味の戦争責任だった。自由が丘の駅前で、戦地に赴く兵隊たちを送るとき、ばんざーい!の言葉とともに日の丸の小旗を振ると、焼いたスルメの脚を一本もらえた。いつも腹ぺこ状態だったので、「私が日の丸の小旗を振って兵隊さんを見送ったのは、スルメの脚が欲しかったからだ」。これが私の戦争責任だ、という。
 僕は国際法学者として、戦争責任は戦争指導者とくにいわゆるA級戦犯にあり、さらにBC級戦犯にあり、国民は被害者と位置づけられた連合国の判断を受け入れてきた。
 一九四一年一二月の日米開戦の前、時の東条総理が米国と話し合う姿勢に転じたとき、多くの日本人は激高し、東条に対して、「いくじなし」「卑怯者」「戦争する勇気がないのか」などと、東条を批判罵倒する、全国から送られてきた手紙を田原さんは読んだと言い、軍部だけではなく、「多くの国民がアメリカと一戦交えることを望み、期待していたのだ」という。

 戦後のことにも二人は触れている。一九四五年の夏、四歳の僕は天草で泳いでいた。そして、長崎上空に上がったキノコ雲を見た。空襲警報が鳴っていないのに敵機が来襲し、人が撃たれた。怖かった。しかし、戦後の天草の田舎では空腹を覚えた記憶はない。小学校四年生で伯母を頼って出てきた焼け野が原の神戸での生活は厳しかった。NHKの「とと姉ちゃん」に、最近、戦後の闇市の場面がしばしば登場するが、八月九日放映分に、「元始女性は太陽であった」と二五歳で発刊した『青鞜』の序文に書いた平塚らいてうが登場し、「お汁粉の作り方と随筆を書く話があり、日常の、何気ない、平和な生活こそ大事だ、と語る場面がある。八月六日、九日に消えた日常に思いを致し、この夏に、ありふれた日常の生活の大切さを心に留め、大事にしたい。八月一〇日

(国際法・国際人権法学者)

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Posted by 京都ノートルダム女子大学学長ブログ at 19:45 │学長社会時評

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